「傘」で思うことは雷にうたれたこと
今週のお題「傘」で思うことは、インドネシア駐在の初期のころで25年ぐらい前の経験です。
だいたい、当時の駐在員たちは、土日となると、同窓会とか、県人会とか、社内コンペとか、なんだかんだと理由をつけてはゴルフをしていました。
当時のジャカルタでは、今は山ほどできた会員制のゴルフクラブが、まだほとんどなくて、郊外のパブリックコースでプレーすることが多かったです。しかし、パブリックコースは、避雷針を含む設備が今とは比べものにならない貧弱でした。
最近では、気候変動で少なくなっていますが、当時は、所謂、熱帯特有のバケツをひっくり返したような、雷をともなったスコールが雨季には毎日のように発生していました。当然、駐在員たちは、雷の危険性は十分承知しているので、普通は雷の気配がするとプレーを中止しゴルフクラブや、休憩所に戻るのですが、その日は違いました。
確か、社内コンペで残り数ホールまで来たときだったと思いますが、にわかに空が曇り、雷の音が聞こえ始めていたのですが、みんなプレーに夢中だったのです。特に、仲間内のプレーなので、各自最終的な順位とか、お互いになにがしかのお金懸けていた者も多く、かなり熱くなっていたことが理由です。
また、その日は、雷の音が聞こえ始めてから、実際、雷が落ちてくるまでの時間が本当に短かくて、ちょうど、私はグリーン上でパターをしていたときだった思いますが、目の前で、雷の光が地上をはってくるのが、はっきりと見えたのです。
雨も降り始め、傘をさしていたので、あっと思って、反射的に傘を宙に放り投げた瞬間、間一髪で傘は煙を出しながら地面に落ちてゆき、手にはしびれが強い残っていました。後にも先にも、雷が落ちるという瞬間、光が地をはく光景、傘から煙を出る状況に出くわしたのはこの時だけです。
もちろん、全員プレーどころではなくなって、木陰に避難したあと、クラブハウスに戻ったのは言うまでもありませんが、後日談で、その時、中華系のインドネシア人の人が雷にあたって亡くなったと聞いて、ぞっとしたことを今でもよく覚えています。
あとで聞いた話ですが、木陰も危ないそうです、雷は木とか金属製のものを目指して感電してくるのです。
とにかく、雷の気配があるときは、傘をもたないこと、とにかく、避雷針のある休憩所、クラブハウスをめがけて退避することが大事なことだと肝に銘じ今でもプレーしています。
たかが、ゴルフです。命には代えられません。