Anak Tiri kuci Surga (継子は天国への鍵)
コロナ関係のニュースを見ようと、ぼうーとTV3を見ていたら。テレビドラマをやっていた。
マレーシア語の字幕が出ているのに、似たようなことばをしゃべっているなと思ったら、インドネシアからの、Anak Tiri kuci Surga (継子は天国への鍵)というドラマだった。
最初は、インドネシア語のこの表現は、マレーシア語ではこういう言い回しになるのかと、ふむふむと見ていたら、そのうち、番組の内容に引き込まれてしまった。
気がついたら、感動して、思わず、涙、涙、涙
<物語の内容>
子供2人を残して愛する夫が不慮の死をとげてしまった妻と家族。。。
嘆き悲しんでいるその場へ、赤子が送られてきた。。。そこに、亡くなった夫からの手紙が(この子めんどうを見てほしいと。。。。)
つまり、夫と第2夫人との間にできた子供だった。
その後、その子は大きくなって、学校にも通わせてもらえなかったが、義母を実母と信じて、義母の露天商を手伝った。
また、兄弟2人のめんどうみながら、義母につらい仕打ちにも耐えていた。
義母は、夫の裏切りを恨み、この子に、ぶつけてきた。
ただ、祖母は、唯一のこの子の味方で、義母のつらい扱いから、孫をかばってきた。
ある日、義母の財布がなくなり、継子を疑った義母が部屋に入っていくと、部屋から財布が見つかった。
これは、義理の弟、妹が、時計欲しさにしくんだものだった。
義母は、実子を甘やかして育てたために、継子を責め、お前は私の子ではないと告げてしまったのだ。
この子は、学校には行けなかったが、近所のイスラム学校の先生にかわいがられ、文字とコーランの読経を義母にかくれて習っていた。
この子は非常に優秀な子で、先生は、地域の読経のコンテストに推薦したが、義母が反対し、余計にこの子につらくあたった。
祖母は、このままでは、この子ためにならないと思い、この家から出ていくことすすめ、イスラム学校に身を寄せた。
その後、読経コンテストに出場することができ、見事に優勝した。
これに気付いた義母は、連れ戻すために、この日、会場にやってきていた。
義母は陰から様子を見ていたが、この子が優勝し、周りの人たちは、こんな立派な子を育てた親はきっとすばらしい親だろうと囁くのを聞き、自分の間違いに気づくのだ。
最後は、コンテストの演壇に進み、これまでの間違いをこの子に悔い、この子も、義母に対して”お母さん、愛している”と、。。。涙、涙のハッピーエンドとなる。
これは、典型的なインドネシアのドラマのパターンで、「おしん」が爆発的にヒットしたことともつながります。
インドネシアでは、貧富の差がはげしく、まだ、まだ、貧困層の多い一般大衆から支持されるのでしょう。
一方、マレーシアは、恋愛もの、家族ものが多く、あまり深刻なドラマはないような気がします。
やはり、経済的に背景が、ドラマにも反映されます。